母逝去
2007年12月4日12月3日
16時50分 母親が乳癌のため亡くなりました。享年60歳。
先週の月曜日、胸の痛みを訴えたため自宅療養を諦め入院。
火曜日、自分がインフルエンザに罹っていたため最後の面会すら出来ないまま
終わることになるのではないかと絶望を味わいそうになりながらも一目だけ
無理に会いに行き、父・兄・自分と部屋に入ってきたのを確認してからゆっくり
眠った所をみて、しっかりとした意識のあるうちに会えたことが救いだった。
水曜・木曜は辛いということは無かったものの金曜になってから胸の痛みを
訴えるようになり。
金曜から日曜にかけて交代で病院につめて痛みが緩和できるようマッサージを
行い治療に携わる。治療というより緩和ケアということはわかっていた。
今週の月曜に至って痛みをとるため麻酔をかける、予定でした。
しかし午後になったところで容態が急変。家族を緊急で招集。
兄がちょうど帰ってこれたということもあり
最後は家族で看取ってあげることが出来た。
まだ、たいした親孝行は出来ていない。
それこそ数えることが出来るくらいだった。
お母さん。ごめんなさい。ありがとう。
16時50分 母親が乳癌のため亡くなりました。享年60歳。
先週の月曜日、胸の痛みを訴えたため自宅療養を諦め入院。
火曜日、自分がインフルエンザに罹っていたため最後の面会すら出来ないまま
終わることになるのではないかと絶望を味わいそうになりながらも一目だけ
無理に会いに行き、父・兄・自分と部屋に入ってきたのを確認してからゆっくり
眠った所をみて、しっかりとした意識のあるうちに会えたことが救いだった。
水曜・木曜は辛いということは無かったものの金曜になってから胸の痛みを
訴えるようになり。
金曜から日曜にかけて交代で病院につめて痛みが緩和できるようマッサージを
行い治療に携わる。治療というより緩和ケアということはわかっていた。
今週の月曜に至って痛みをとるため麻酔をかける、予定でした。
しかし午後になったところで容態が急変。家族を緊急で招集。
兄がちょうど帰ってこれたということもあり
最後は家族で看取ってあげることが出来た。
まだ、たいした親孝行は出来ていない。
それこそ数えることが出来るくらいだった。
お母さん。ごめんなさい。ありがとう。
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