悪夢
2008年1月8日昨日の夜、疲れていたのでそのまま寝てしまい朝慌ててお風呂に入って
それから出社してみる。夏場のシャワーはまだ良いけれど冬の朝風呂は
風邪引きそうな感じがするけど結構な回数になっているのでいまさら
風邪については心配してなかったりしますが(苦笑)
お風呂に入ると足先も手と同様に温まると眠くなる、そういう傾向が
人にはあるということなので電車の中から仕事中に至るまで結構眠い。
電車の中は当然寝ていましたが仕事中も辛いので時間を見つけて車内で寝る。
でもさすがに軽に程近い車の中というだけはあって寛ぐには程遠い。
おかげで大抵浅い眠りでいい夢を見れない。まあ仕事中に休んでいるという
背徳感?もやや残っているので仕方ないといえば仕方ないですが
仕事の受注が出来ていれば文句を言われないのが営業職、
ついでにサラリーマンとして会社の経営に責任を持たない分
時間を拘束される身としては効果的な時間を提供することで対応させて貰いたいと
思う次第。、、、、、、ただの言い訳です。
まあそんな休憩だから良い夢など滅多に見たことも無く、大抵悪夢。
直截的な車にまつわる悪夢を見てはっと我に帰ることが多いものの
起きれば大抵の内容は忘れるのが夢である証拠。
その点納得してシェスタを貪るところなのですが妙なところで取りたくない電話の
せいで途中起こされたため妙に記憶に残ってしまって。
ちなみに電話が仕事なら秒で覚醒して対応しますがそこは旧上司。
マナーモードにすれば私用携帯にワン切りかける勇者ですから素直に取って。
いつものように電話代がもったいないからかけ直すように言われる。
嫌な目の覚め方をしたと思いつつとりあえず給料分の仕事をしてから電話。
当社のダイアリーで日記を書いているのだが年2冊は使うから欲しいと。
手元にあるか?と聞かれたのでありませんねえ、と即答すると29日に行くから
それまでに用意しておけと言われる始末。
、、、まあ聞けばあると思いますけどね。はっきりいって会いたくないです。
以前パソコンの調子が悪いから会社を有給で休んで修理に来い、と素でいえる勇者には
さすがにお目通りの機会があってももったいなくてお目通りできません。
今度はどんな無茶難題を吹っかけられるかと思うと、、、。
夢の内容も悪夢だったのですが電話の相手も悪夢を呼び起こす対象だったので
後者のインパクトで話がずれてしまいました(苦笑)
悪夢といっても高校時代のことを改めて思い出していました。
大学に入って高校時代の馬鹿達から場所的にも精神的にも離れることが出来たため
二年になるくらいから(卒業して2年を経過するまで)思い出すことも少なくなって
いたことだったりするのですが。
、、、、、あれからもう10年以上過ぎているのか。ちょっと思い出してみよう。
(個人的な思い出なのでMtg以外に興味が無い方はUターン推奨)
高校は千葉県のI中央高校に在籍しておりました。普通科でした。
普通科と敢えて書くのは高校にしては珍しかったことに芸術科があったこと。
当時、校長はK学園の一環として
I中央は10年で県下一の進学校にすると息巻いておりました。
そのため生徒はややすると優秀な生徒が集められておりました。
ちなみに私は優秀ではなく並の下。
受験時に専願にすれば確実といわれて受験したため入学。
優秀な生徒というのは県内でトップの高校に『入れなかった』いわゆる滑り止めにしていた
生徒達。優秀ではあるけれど性格的には一癖も二癖も捻じ曲がった人間ばかり。
希望校に入れなくて拗ねるというか捻じ曲がるわけだから当然だった。
高校は進学校を目指すという建前の元、一日七時間授業を敢行。
土曜ですら四時間だった。
(大学の1時間半を経験するとあくびが出るが当時は大変だった。)
部活動は当然平均1時間しか取れないから運動部の成績が言い訳も無い。
さらに学校は陸の孤島といわれるくらい最寄り駅が小湊線である時点で僻地。
通学は学校負担のバスで行かないと足が基本的に無い。
そんな中、一年時には、まあ青春をやっていたわけで。平たく言うと告白して玉砕。
これ自体は苦くても良い思い出として記憶にあるわけなんですが(苦笑)
問題は二年時から。
もともと告白をした相手というのが頭が良くて性格が良くて可愛い子でした。
それでいて誰に対しても同様に接して区別をつけない子でしたので男子には人気があった。
玉砕した段階で既に彼氏がいたのもわかっていましたし。
まあそんな子でしたので玉砕後も普通に友人としてのお付き合いをしていました。
割り切るしかない、と思って当時は辛いなあと思いながらでしたが(苦笑)
そんな中、当時二年六組の一部馬鹿どもが騒ぎ立てまして。
私が彼氏がいる相手と付き合っていると。その彼氏から奪うのか、と。
あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ返ったのですがその連中の手口がだんだんエスカレートして。
嫌がらせの対象にされてしまいました。物を隠されるのは日常的。
後ろからズボンを下ろされるとか紛い物のラブレターで呼び出しをかけようとしたりと。
机に花、というのはなかったな。公立文系や私立文系といった志望校で授業方式を変える
高校でしたので一つの机をずっと使うということはありませんでしたので。
ただ自衛策で荷物は辞書だろうと全て持ち帰る、必ず現金は持ち歩くか最低限のみにする。
ズボンはゴムではなく紐を通しておく、呼び出しは基本的に全無視。
クラス内で無視させるとかいうのはそもそもクラス意識が根底に無いので効果が薄いし
そもそも同じクラス内には友人はいないので意味がない。
図書委員だけはやらせてもらっていたので先生と仲良くなって
鍵を始終預かっていたから避難場所は確保していた。
先生が転任しても話を通しておいてもらえたため三年間場所の確保が効いた。
さらに図書委員長の肩書は図書室においては無駄にならなかった。
まあそんな自衛にも限度があって。
最終的に体育の合同時に無視をしているんじゃないと難癖をつけられ。
1対5でも折れてやる気はなかったのでついタンカをきってしまいました(苦笑)
そうしたら相手のいるクラス全員の男子全員で向かってきまして。
それで回りを囲って逃げ道を潰して全員(23人)でぐるぐる回りながら精神的リンチ。
中央に後々ダブりをした馬鹿代表が延々と挑発をかけてきて。
下手に頭がよくて性格が拗ねて捻じ曲がった連中ですので相手の狙いがはっきりわかる。
挑発してこちらから殴らせてから全員声をそろえて
「白魔が殴りかかってきたからやむを得ず取り押さえました」と言うのが目に見えていた。
このときほどテープレコーダーの準備をしていなかった自分の間抜けさを実感しつつ
手を出してはいけないとこらえ、最終的に涙腺が決壊してしまったのが情けない。
こちらが泣いたことで馬鹿どもは満足した。
このときほど、悔しいと思ったことはない。そして死にたいと思ったこともない。
友人と兄が慰めてくれたし、ストレスから風邪でダウンしてしばらく考えないでいたのも
リフレッシュにはつながったのですが。
この時のダウンが違う展開を起こすとは思いもしなかった。
基本的に彼女さんと仲良く、というけれどあくまでも友人としてのお付き合い。
授業で隣になったときに話したりするのがせいぜいで後は本を貸したりするくらい。
なんというかささやかなものでした。
だから彼氏(E某)が確認に来れば正直に話をして終了だったわけです。
それがE某が馬鹿に乗せられ調子に乗って「俺の女に手を出すな!」とタンカをきるから
説明するのが馬鹿馬鹿しくなった、というのが事の発端。
それで上記のことに至ったわけですがダウンしている間に話が進んで。
夜に彼女(Sさん)から電話がかかってきて。E某と別れたと。
人がダウンしている間にというか件の馬鹿どもがその矛先をSさんに向けたとのこと。
E某に校舎裏の人気のないところにつれてくるようにと言ったとのこと。
ここでE某がわが身可愛さに自分の彼女を売りました。
頭の良いSさんは状況を見て即Uターンし走って逃げたそうで幸い彼女の友人がかくまって
事なきを得たそうですが強姦するつもりの連中にE某は彼女を売りました。
後日私が問い詰める前に女子連中から相当叩かれまくって当然のように振られたので
かまってやる気も起きなくなりましたが。
、、、そういえばE某。ダウン後に話しかける機会が一度だけあって、
「リンチのことは一生忘れるつもりはない。」と話したのですが返答は
「え〜w まだそんなこと覚えているの〜w」でした。即ぶん殴ればよかった。
さらにE某の話はまだあって。三年時にすでに他の人が推薦枠を手に入れていたのに
横からしゃしゃり出てそれを奪いとって推薦枠を手に入れ大学に行きました。
多分、今も人の恨みを変わらず買いながら生きているでしょう。
とりあえずその後の学生生活はそれなりに充実したものにはなりましたが
あのときの精神的リンチは早々忘れることの出来ない記憶として私の中に残っています。
なんで今日になって思い出したのかいまいちわかりませんが
それが悪夢ということなんでしょうね(苦笑)
それから出社してみる。夏場のシャワーはまだ良いけれど冬の朝風呂は
風邪引きそうな感じがするけど結構な回数になっているのでいまさら
風邪については心配してなかったりしますが(苦笑)
お風呂に入ると足先も手と同様に温まると眠くなる、そういう傾向が
人にはあるということなので電車の中から仕事中に至るまで結構眠い。
電車の中は当然寝ていましたが仕事中も辛いので時間を見つけて車内で寝る。
でもさすがに軽に程近い車の中というだけはあって寛ぐには程遠い。
おかげで大抵浅い眠りでいい夢を見れない。まあ仕事中に休んでいるという
背徳感?もやや残っているので仕方ないといえば仕方ないですが
仕事の受注が出来ていれば文句を言われないのが営業職、
ついでにサラリーマンとして会社の経営に責任を持たない分
時間を拘束される身としては効果的な時間を提供することで対応させて貰いたいと
思う次第。、、、、、、ただの言い訳です。
まあそんな休憩だから良い夢など滅多に見たことも無く、大抵悪夢。
直截的な車にまつわる悪夢を見てはっと我に帰ることが多いものの
起きれば大抵の内容は忘れるのが夢である証拠。
その点納得してシェスタを貪るところなのですが妙なところで取りたくない電話の
せいで途中起こされたため妙に記憶に残ってしまって。
ちなみに電話が仕事なら秒で覚醒して対応しますがそこは旧上司。
マナーモードにすれば私用携帯にワン切りかける勇者ですから素直に取って。
いつものように電話代がもったいないからかけ直すように言われる。
嫌な目の覚め方をしたと思いつつとりあえず給料分の仕事をしてから電話。
当社のダイアリーで日記を書いているのだが年2冊は使うから欲しいと。
手元にあるか?と聞かれたのでありませんねえ、と即答すると29日に行くから
それまでに用意しておけと言われる始末。
、、、まあ聞けばあると思いますけどね。はっきりいって会いたくないです。
以前パソコンの調子が悪いから会社を有給で休んで修理に来い、と素でいえる勇者には
さすがにお目通りの機会があってももったいなくてお目通りできません。
今度はどんな無茶難題を吹っかけられるかと思うと、、、。
夢の内容も悪夢だったのですが電話の相手も悪夢を呼び起こす対象だったので
後者のインパクトで話がずれてしまいました(苦笑)
悪夢といっても高校時代のことを改めて思い出していました。
大学に入って高校時代の馬鹿達から場所的にも精神的にも離れることが出来たため
二年になるくらいから(卒業して2年を経過するまで)思い出すことも少なくなって
いたことだったりするのですが。
、、、、、あれからもう10年以上過ぎているのか。ちょっと思い出してみよう。
(個人的な思い出なのでMtg以外に興味が無い方はUターン推奨)
高校は千葉県のI中央高校に在籍しておりました。普通科でした。
普通科と敢えて書くのは高校にしては珍しかったことに芸術科があったこと。
当時、校長はK学園の一環として
I中央は10年で県下一の進学校にすると息巻いておりました。
そのため生徒はややすると優秀な生徒が集められておりました。
ちなみに私は優秀ではなく並の下。
受験時に専願にすれば確実といわれて受験したため入学。
優秀な生徒というのは県内でトップの高校に『入れなかった』いわゆる滑り止めにしていた
生徒達。優秀ではあるけれど性格的には一癖も二癖も捻じ曲がった人間ばかり。
希望校に入れなくて拗ねるというか捻じ曲がるわけだから当然だった。
高校は進学校を目指すという建前の元、一日七時間授業を敢行。
土曜ですら四時間だった。
(大学の1時間半を経験するとあくびが出るが当時は大変だった。)
部活動は当然平均1時間しか取れないから運動部の成績が言い訳も無い。
さらに学校は陸の孤島といわれるくらい最寄り駅が小湊線である時点で僻地。
通学は学校負担のバスで行かないと足が基本的に無い。
そんな中、一年時には、まあ青春をやっていたわけで。平たく言うと告白して玉砕。
これ自体は苦くても良い思い出として記憶にあるわけなんですが(苦笑)
問題は二年時から。
もともと告白をした相手というのが頭が良くて性格が良くて可愛い子でした。
それでいて誰に対しても同様に接して区別をつけない子でしたので男子には人気があった。
玉砕した段階で既に彼氏がいたのもわかっていましたし。
まあそんな子でしたので玉砕後も普通に友人としてのお付き合いをしていました。
割り切るしかない、と思って当時は辛いなあと思いながらでしたが(苦笑)
そんな中、当時二年六組の一部馬鹿どもが騒ぎ立てまして。
私が彼氏がいる相手と付き合っていると。その彼氏から奪うのか、と。
あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ返ったのですがその連中の手口がだんだんエスカレートして。
嫌がらせの対象にされてしまいました。物を隠されるのは日常的。
後ろからズボンを下ろされるとか紛い物のラブレターで呼び出しをかけようとしたりと。
机に花、というのはなかったな。公立文系や私立文系といった志望校で授業方式を変える
高校でしたので一つの机をずっと使うということはありませんでしたので。
ただ自衛策で荷物は辞書だろうと全て持ち帰る、必ず現金は持ち歩くか最低限のみにする。
ズボンはゴムではなく紐を通しておく、呼び出しは基本的に全無視。
クラス内で無視させるとかいうのはそもそもクラス意識が根底に無いので効果が薄いし
そもそも同じクラス内には友人はいないので意味がない。
図書委員だけはやらせてもらっていたので先生と仲良くなって
鍵を始終預かっていたから避難場所は確保していた。
先生が転任しても話を通しておいてもらえたため三年間場所の確保が効いた。
さらに図書委員長の肩書は図書室においては無駄にならなかった。
まあそんな自衛にも限度があって。
最終的に体育の合同時に無視をしているんじゃないと難癖をつけられ。
1対5でも折れてやる気はなかったのでついタンカをきってしまいました(苦笑)
そうしたら相手のいるクラス全員の男子全員で向かってきまして。
それで回りを囲って逃げ道を潰して全員(23人)でぐるぐる回りながら精神的リンチ。
中央に後々ダブりをした馬鹿代表が延々と挑発をかけてきて。
下手に頭がよくて性格が拗ねて捻じ曲がった連中ですので相手の狙いがはっきりわかる。
挑発してこちらから殴らせてから全員声をそろえて
「白魔が殴りかかってきたからやむを得ず取り押さえました」と言うのが目に見えていた。
このときほどテープレコーダーの準備をしていなかった自分の間抜けさを実感しつつ
手を出してはいけないとこらえ、最終的に涙腺が決壊してしまったのが情けない。
こちらが泣いたことで馬鹿どもは満足した。
このときほど、悔しいと思ったことはない。そして死にたいと思ったこともない。
友人と兄が慰めてくれたし、ストレスから風邪でダウンしてしばらく考えないでいたのも
リフレッシュにはつながったのですが。
この時のダウンが違う展開を起こすとは思いもしなかった。
基本的に彼女さんと仲良く、というけれどあくまでも友人としてのお付き合い。
授業で隣になったときに話したりするのがせいぜいで後は本を貸したりするくらい。
なんというかささやかなものでした。
だから彼氏(E某)が確認に来れば正直に話をして終了だったわけです。
それがE某が馬鹿に乗せられ調子に乗って「俺の女に手を出すな!」とタンカをきるから
説明するのが馬鹿馬鹿しくなった、というのが事の発端。
それで上記のことに至ったわけですがダウンしている間に話が進んで。
夜に彼女(Sさん)から電話がかかってきて。E某と別れたと。
人がダウンしている間にというか件の馬鹿どもがその矛先をSさんに向けたとのこと。
E某に校舎裏の人気のないところにつれてくるようにと言ったとのこと。
ここでE某がわが身可愛さに自分の彼女を売りました。
頭の良いSさんは状況を見て即Uターンし走って逃げたそうで幸い彼女の友人がかくまって
事なきを得たそうですが強姦するつもりの連中にE某は彼女を売りました。
後日私が問い詰める前に女子連中から相当叩かれまくって当然のように振られたので
かまってやる気も起きなくなりましたが。
、、、そういえばE某。ダウン後に話しかける機会が一度だけあって、
「リンチのことは一生忘れるつもりはない。」と話したのですが返答は
「え〜w まだそんなこと覚えているの〜w」でした。即ぶん殴ればよかった。
さらにE某の話はまだあって。三年時にすでに他の人が推薦枠を手に入れていたのに
横からしゃしゃり出てそれを奪いとって推薦枠を手に入れ大学に行きました。
多分、今も人の恨みを変わらず買いながら生きているでしょう。
とりあえずその後の学生生活はそれなりに充実したものにはなりましたが
あのときの精神的リンチは早々忘れることの出来ない記憶として私の中に残っています。
なんで今日になって思い出したのかいまいちわかりませんが
それが悪夢ということなんでしょうね(苦笑)
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